そのみちについて
わたしの名前には『道』という漢字が入っています。
道は、時に曲がりくねり、険しいものであっても、どこかへ導いてくれるもの。
わたしの人生もその道のように、いくつもの奇跡と共に歩んできました。
松下幸之助さんの『道をひらく』は、いつも心に灯をともす言葉です。
そんな7つの奇跡に連なるお話(半生の振り返り)から自己紹介をしていきます。
【7つの奇跡】
これからお話する7つの奇跡は
「そのみち」のこれまでの人生で起きた実話です。
わたしには、7つ年上の兄と1つ年上の双子の姉がいます。しかし、その姉は生まれて間もなく天国へと旅立ちました。もし彼女たちが生きていたら、わたしはこの世に存在していなかったかもしれません。金銭的に厳しい家庭環境の中、両親は子供を育てるのに精一杯でした。
姉の位牌は、今も仏壇にあり、いつもわたしを見守ってくれているように感じます。わたしの両親もすでに他界し、今は家族全員が天国で一緒にいると思うと、不思議な安心感を覚えます。両親と双子の姉が、わたしを支えてくれているような気がします。
わたしが今こうして生きていること――それ自体が、運命の選択によって与えられた奇跡です。
1歳のわたしに訪れた危機――アパートの3階から、ほんの一瞬の目を離した瞬間に、よちよち歩きのわたしは柵の隙間から落ちてしまいました。母親が炊事をしている間の出来事。下町の古いアパートにはベランダもなく、あっという間の事故でした。
すぐに救急車で運ばれ、家族は祈るような気持ちだったはずです。奇跡的に、わたしが落ちた場所には工場のドラム缶がいくつも積まれており、その隙間にすっぽりと挟まっていました。頭蓋骨に少しの変形は残りましたが、脳には影響はなく、一命を取り留めたのです。
今振り返ると、その瞬間もまた、命をつなぐために起こった奇跡だったのだと感じます。この世に今も生きていること、それはすべて、奇跡の積み重ねなのです。
高校生の頃、アルバイトで貯めたお金で中古のスクーターを購入しました。友人たちと一緒に、遠出しては色々な場所へ出かけるのが楽しみでした。その日は、自宅へ戻る途中の出来事。夜の道路で車線変更をしたその瞬間、背後から急接近してきたタクシーに追突され、スクーターから放り出されました。
体が空中に舞い、時間が一瞬止まったように感じました。空中で回転しながら、「ああ、これで死ぬのかな」と頭をよぎった瞬間を今でも鮮明に覚えています。
しかし、奇跡は起こりました。次に気がついた時には、わたしは無傷で地面に立っており、スクーターは道路の片隅に壊れたまま横たわっていました。どうしてこんなにも無傷でいられたのか、今でも不思議でなりません。
その事故でスクーターは大破しましたが、わたしの体は奇跡的にほとんど無傷でした。あの瞬間、何か見えない力に守られていたような気がします。それは、何度思い返しても奇跡としか言いようのない出来事でした。
25歳の時、わたしは全身性エリテマトーデス(SLE)という難病にかかりました。SLEは自己免疫疾患の一種で、免疫が自分自身の体を攻撃してしまう病気です。特に皮膚、関節、腎臓、心臓などが侵されることが多く、命に関わることも少なくありません。そして、この病気は圧倒的に女性に多く、日本では男女比が1:9とも言われています。その中で、男性であるわたしがこの病気にかかったことも、一つの奇跡と言えるでしょう。
最初に異変を感じたのは、足の異常なむくみでした。総合病院で検査を受けた結果、即入院が決まり、最初は腎臓のネフローゼ症候群と診断されました。しかし、その後SLEという診断が下され、わたしの体は日に日に衰弱していきました。
入院中は1日500mlの水分制限、塩分は5ミリグラムまで減らされ、厳しい制限が続きました。腎臓は人工透析寸前まで悪化し、腹部には水が溜まり、死の覚悟もしました。
体の苦しみだけでなく、精神的にも追い詰められました。入院から2か月が経つ頃には、うつ病を発症し、記憶が曖昧になるほどの状態に。医師はわたしをナースステーションのそばに移し、命の危険が常に付きまとう状況が続いていました。
それでも、家族や友人、医師たちの支えがあり、奇跡的に5か月後には退院できました。SLEという難病にかかりながら、命をつなぎ止めることができたのは、まさに奇跡の連続だったと感じます。女性が圧倒的に多い病気で、男性であるわたしが患ったことも奇跡。そしてその命が救われたこともまた、奇跡に違いありません。
26歳の時、SLEの治療のために投薬されていたステロイド。その副作用が、わたしの体に新たな試練をもたらしました。それは「特発性大腿骨頭壊死症」という、聞いたこともない難病。ステロイドの影響で、わたしの右足の骨が壊死してしまったのです。
痛みは突然やってきました。まだ退院して半年ほど経ったばかり。体は少しずつ回復に向かっているはずでした。しかし、今度は足の痛みがわたしを襲いました。病院で検査を受けた結果、特発性大腿骨頭壊死症と診断されました。数か月後には、左足も同じように壊死が進行していることがわかりました。
「なぜ自分だけ、こんなにも試練が重なるのだろうか?」心の中には、言いようのない絶望が渦巻きました。大好きだったスポーツも、自由に動くことさえも制限され、両足に杖をつきながら生活をする日々が始まりました。中型オートバイの免許も取得し、夢中でバイクに乗っていたのに、それも手放さざるを得ませんでした。今まで楽しんでいた全てのことが奪われ、人生のどん底に突き落とされた感覚でした。
右足、左足、どちらも手術を勧められる状態でしたが、当時はまだ決断を下すことができませんでした。杖をつきながらの生活は、わたしの心と体をじわじわと蝕んでいきました。毎日の痛みと不自由さ、それがまるで罰のように感じられ、「なぜ自分だけが」と何度も思いました。
しかし、このどん底の中にあっても、わたしを支えてくれる存在はありました。家族や友人たちの励ましが、心の中にわずかな光を灯してくれたのです。すぐに手術を受けることはしませんでしたが、彼らの支えがなければ、もっと深く絶望に沈んでいたことでしょう。
「どん底まで落ちたからこそ、これから再び上がっていける」――今振り返れば、この経験もまた奇跡の一つだったのかもしれません。
人生のどん底を経験したわたしに、思いもよらない奇跡が訪れました。それは「結婚」という、まるで希望が光のように差し込んだ瞬間です。
わたしが27歳になった時、長い闘病生活の末、わたしを支え続けてくれた彼女と結婚しました。学生時代からの彼女は、退院するまでの苦しい日々を、毎日わたしの側で見守り続けてくれました。彼女は、自分の若さと時間を犠牲にしながらも、わたしを決して見捨てることはありませんでした。
人工透析寸前の腎臓にうつ病まで抱え、病院での毎日は精神的にも肉体的にも限界でした。そんな状況で、彼女にとってわたしとの未来は決して明るいものではなかったはずです。普通なら、彼女が去ってしまうのも仕方のない状況だったかもしれません。
それでも彼女は、わたしとの結婚を選びました。彼女の決断は、わたしにとってまさに奇跡でした。両親や周囲の心配もあったでしょう。それでも、彼女は「一緒に生きていこう」と手を差し伸べてくれました。
わたしの人生は、どん底に落ちてから急速に上昇を始めました。結婚が、わたしを救ってくれたのです。彼女との絆は、これ以上ないほど強く、確かなものになりました。結婚してから18年が経ち、今では二人の子どもと共に笑顔で暮らす毎日があります。あのどん底にいた時には想像もできなかった幸せな生活が、今ここにあります。
彼女の存在こそが、わたしにとっての最大の奇跡です。逆転劇のように、どん底から頂点へと上り詰めた――それがわたしの「結婚」という奇跡の物語です。
43歳の時、わたしの人生は再び大きな転機を迎えました。それは、「特発性大腿骨頭壊死症」との長年の戦いを終わらせるため、両足の手術を受けた時でした。この病気と共に歩んできた日々は、痛みと制約に満ちたものでした。杖を使って歩く日々、好きだったスポーツもできない日々が続いていました。
40代に入り、これからの人生をどう生きていくべきかを考えるようになりました。わたしにはまだやりたいことがたくさんありました。運動を楽しむこと、自由に体を動かすこと、そして家族と共に人生を謳歌すること。そこで決断したのです。手術を受け、再び自由に生きるために。
手術は成功しました。両足の痛みから解放され、ステロイドという薬からも解き放たれました。長年苦しめられてきた病気が、ついにわたしの体から消えていったのです。これまで当たり前だった散歩が、まるで新しい体験のように感じました。自転車に乗ること、犬と一緒に歩くこと――すべてが奇跡のように感じられました。
あの日から、わたしの人生は再生を始めました。病と共に歩んできた20年以上の時間を乗り越え、今、新しい道を歩み始めています。家族と共に、これまで以上に充実した生活を送っています。大好きなスポーツも再び楽しめるようになり、心も体もかつてないほどに自由です。
この奇跡を経て、わたしは一つの確信を得ました。どんなに苦しい状況でも、奇跡は起こる。何度もどん底に落とされましたが、その度に助けられ、そして再生してきました。今、振り返れば、そのすべてが奇跡だったのだと心から感じます。
「再生」とは、このように奇跡を積み重ねて手に入れたものなのです。わたしの人生はこれからも続いていきます。奇跡は、まだ終わりを迎えていません。
【趣味・好きなこと】
サイクリング・ポタリング・登山
東京の下町巡りや、河川敷を走ることが多いです。
車ではいけない下町の路地を巡ったりすると新しい発見があります。
休日に40km〜70kmくらい走り、良い運動になります。
登山も好きです。低山ですが、足が動けるようになってからは登頂時に最高の幸せを感じてます。
散歩
1日は、愛犬と共に朝一の散歩からはじまります。
四季を感じながら、とても気持ちが良いです。